今回は、平成26年10月28日、29日に行われた名古屋会館落慶座談会に参加した方の、喜びの声を紹介します。
真剣になろうとする心が(愛知県 R.M さん)
「破闇満願」の「破闇」とは一念で水際立って闇が無くなること、「満願」とは願いが満たされることです。それが人生の目的であり、絶対の幸福になること、そして、それは「南無阿弥陀仏」のお働きによるものと教えていただきました。
「南無阿弥陀仏」の名号には大宇宙の功徳がおさまっており、無限の働きがあります。
その働きを一言で表されたお言葉が「破闇満願」です。
親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」を「難度海を度する大船」と仰っています。難度海とは、苦しみの絶えない人生であり、苦海ともいいます。私たちは苦しむために生まれてきたわけではないのに、生まれると同時に苦しみの海に投げ出されて生きていくしかありません。その苦しむ衆生(すべての人間)を助けたいと、阿弥陀仏の創られた名号が「難度海を度する大船」であると教えていただきました。
人間は煩悩具足、煩悩の塊です。煩悩とは、欲や怒り、ねたみ、真剣になれない心、心が散り乱れることと教えていただきました。私たちが今晩ともしれぬ命でありながら仏法を真剣に聞けないのは、煩悩具足だからです。
そのように教わってもなお、「もう少し真剣に聞けば絶対の幸福になれる」と思ってしまいます。その心を自力と言い、自分の力でどうにかできると思い上がっているうぬぼれ心です。
阿弥陀仏のお約束、名号のお働きに対する疑いを晴らしていただくまで、聞法精進いたします。
救われても煩悩具足(福岡県 T.U さん)
親鸞聖人は六字の御名号を「難度海を度する大船」と仰っています。大船に例えられたのは、1つには、すべての人が平等に救われるから、とお聞きしました。
そして2つには、救われない前も救われた後も、煩悩具足の者は全く変わらない、と教えていただきました。欲や怒り、愚痴だけでなく、どれだけ無常と聞かされても真剣にならない心や、後生に驚かない心も、煩悩とお聞きしました。阿弥陀仏は、そんな者と見抜かれて、必ず助けると誓っておられます。
確かにそのとおり、とは思うのですが、その本願が信じ切れず、「何とかすれば何とかなれる」と思って聞いています。
阿弥陀仏は、そんな者ともお見抜きになられ、そんな者がお目当ての大船とも仰っているのですが、「ハイ」となかなか素直に従うことができません。
大船も見えず、呼ぶ声も聞こえず、乗る力も、乗る気もない私が、「そのまま」と聞かせていただけるまで、聞いて聞いて聞き抜かせていただきたいと思います。
命は絶対守り切れない(愛知県 H.K さん)
私たちは「こんなに真剣になれないようでは助からないだろう」「勤行中も別のことを考えてしまう自分では助からないだろう」と思います。
しかし阿弥陀仏は、そんな心を持っていることを見抜かれて、煩悩具足の者を助けると約束され、助ける力のある南無阿弥陀仏の名号を創られました。
それなのに、「でも……」という心はなくなりません。
この心を「闇」(疑情)と言い、その闇を一念で破って無くして、絶対の幸福にしてくださるのが阿弥陀仏のお約束です。
欲や怒り、愚痴のことにはド真剣ですが、「死んだらどうなるか」については真剣さが出てきません。災害対策に一生懸命ですが、命を守り切れるのか、ということは考えていません。
そんな者のために阿弥陀仏は「聞いてくれ」と、名号を創られましたので、仏法は聴聞に極まります。どんな者のための名号なのか、破闇満願の身になるまで聴聞いたします。
救いに文句をつける心(愛知県 W.A さん)
「南無阿弥陀仏」の大功徳は説き尽くせないが、それを漢字4字で表されたお言葉が「破闇満願」と聞かせていただきました。「今は真剣になれないが、本気になればできる」とか「こんなに心が散り乱れていては助からないのでは」と思うのは、阿弥陀仏の救いに文句をつけている恐ろしい心です。
阿弥陀仏はそれらも全て見抜かれているのに、欲や記憶力の善し悪しなどは関係がないとはもう思えません。そんな私の進ませていただくべき道は仏法を聞く以外にはないと知らされました。「どう聞いたら」「こう聞いたら」という自分の設計図に合わせるのではなく、仏願の生起本末を真剣に聞かせていただきます。
聞法依存性弥陀の願力(愛知県 T.M さん)
阿弥陀仏は私たちを、どう聞いても正しく聞けない者、何ともならないのに何とかなろうとしている者、心が散り乱れている者と見抜かれ、そんな者をそのまま助けるにはどうすればよいか考えられ、六字の名号を創ってくださいました。しかも、聞くだけで名号を受け取らせ、助けてくださる大慈悲心を教えていただきました。
名古屋会館は、仏法を聞くための法城であることを決して忘れず、使わせていただきます。
編集後記
名古屋会館のお仏壇の上には「破闇満願」のお言葉が掲げられています。名古屋会館落慶座談会では、その「破闇満願」のお言葉について聞かせていただきました。参加された方の喜びが伝わってきますね。
仏教の目的を忘れず、今後も真剣に聞かせていただきましょう。

