「どうすることが故人へのいちばんの供養になるのか?」。大切な家族を亡くした人なら誰しも悩まれることでしょう。それについて親鸞聖人が教えられていることを示し、聖人のお勧めに従って家族と聞法している法友を紹介します。

故人の最も喜ぶ仏縁
愛する家族を亡くした時に私たちは、「もっとああしておけば」「こうもしていれば」と深い悔恨と悲嘆に沈むものです。墓に布団も着せられず、遺骨に好物を食べさせることもできず、どんな供養をすれば、このやりきれぬ気持ちが落ち着くのかと思い悩むのは当然でしょう。
ただ、故人の望まぬことをしても供養にはなりません。大事なのは、亡くなった人の望みを知り、それをかなえることではないでしょうか。それは故人に尋ねるまでもなく、自分が大切な家族に何を願うかを考えれば分かるでしょう。
つまるところ「正しく生きてほしい」「幸せになってくれよ」。これに尽きるのではないでしょうか。
親鸞聖人は、死の巌頭にも崩れぬ「絶対の幸福」が仏教に説かれていることを明らかになされました。それは本師本仏の阿弥陀仏が本願に誓われている最高無上の幸福のことです。
その阿弥陀仏の本願を真剣に聞き求め、鮮やかな弥陀の救いにあい、死んでよし、生きてよしの絶対の幸福になって、たくましく生きてこそ、亡くなった人が最も喜ぶ、最高の供養となるのです。
親鸞学徒追悼法要には、ご逝去なされた方をしのび、家族や親戚と聞法している親鸞学徒があります。
母の追悼を縁として父が親鸞学徒に(愛知県 C.K さん)
30年以上前からの願いがかない、今年5月、父が親鸞学徒となり、名古屋会館での入学式(正御本尊御下附式)に参加しました。
4年前に亡くなった母が導いてくれたと感じております。親鸞学徒であった母の通夜や葬儀など、法事は全て浄土真宗親鸞会で勤めていただきました。
その年の8月、母の追悼を申し込んだことを知った父は、初めて二千畳に参詣したのです。母の供養になると思って一生懸命お話を聞いたようで、帰りの車中、仏法讃嘆すると、とてもよく覚えていたので驚きました。
以来、毎年、二千畳での追悼法要に参詣し、昨年は名古屋会館での追悼法要にも足を運び、学徒の皆さんとも親しくなっていきました。
お仏壇に立派な正御本尊をお迎えしたい気持ちが強く、親鸞学徒の申し込みをしました。今では毎日、お仏壇の前で『正信偈』のCDをかけてご縁を深めています。
母が示してくれた厳しい無常を見つめ、今年の追悼法要にも父と参詣し、真剣に聞法したいと思います。
編集後記
「無常を観ずるは菩提心の一なり」と言われます。普段、仕事に、家事に忙しい人でも、お盆の時期は亡くなった方をご縁に無常を見つめる機会も多いのではないでしょうか。やがて私の身にもやってくる無常を凝視し、真剣に弥陀の本願を聞かせていただきましょう。