今回は顕正新聞平成26年12月1日号の内容を紹介します。
名古屋会館落慶座談会において
多くの親鸞学徒が聞法し、法城落慶を迎えた名古屋の法輪は、どのように拡大したのか。名古屋会館の落慶座談会で当時を知る井上さんに語ってもらった。
名古屋市へ嫁いだ昭和43年、市内には親鸞学徒は一人もいませんでした。
やがて、講師を毎月招待して、家庭法話を開くようになりました。その講師が名古屋市内で法施をされ、市内にも学徒が誕生したのです。
昭和47年(1972年)、名古屋で初めて高森先生のご法話を開かせていただきました。主人と話し合い、会場は知名度の高い名古屋市公会堂に決めました。
先生は車を運転して、お越しくださいました。参詣者は50人足らずでしたが、その時、先生は「信火は、必ずや燃えひろまるでしょう」とおっしゃっていました。
翌年、2回目のご法話では、参詣者から続々と親鸞学徒として親鸞聖人の教えを聞き続ける人が現れてきました。
その後、公会堂でのご法話は昭和62年(1987年)まで続きましたが、ついに入り切れなくなり、数千人が聞法できる日本ガイシホールで開催されるほどになりました。
わずか50人の参詣者だった初めてのご法話の時、先生が仰ったとおりになったのです。
最初広かった部屋が
吉村甲子郎講師のコメントです。
名古屋に高森先生を最初に招待された井上さんが「その時、借家で先生にお泊まりいただき申し訳ないことでありました」と言われていましたが、私は高森先生に同行させていただきました。まだ未整備の国道41号線を名古屋まで往復運転してくだされたことを思い出します。
また、ご法話会場であった名古屋市公会堂では、最初広かった部屋も数年後には狭くなり、昼休みにいちばん広い部屋に急遽移動となる等、いろんなことがあり、今昔の感にたえません。
如来聖人のご念力
泉弘行講師のコメントです。
かつての公会堂でのご法話が昨日のように思い出されますが、その間40数年が経過しております。名古屋に会館が落成するとは、当時は夢にも考えられないことでした。
名古屋会館は鉄筋コンクリートの頑丈な4階建てで部屋数も多く、すでに学徒の集まりが毎日開催されています。
落慶座談会、祝賀会に参加されている名古屋の学徒の笑顔、笑顔……で、皆さん輝いておられ、強い熱意が伝わってきます。何から何まで一切が、如来聖人の多大なるご念力であり、高森先生の永年のご布教のご苦労の結晶と知らされるばかりであります。
編集後記
名古屋は全国でも浄土真宗の盛んな土地として有名ですが、長らく、真実の教えが届かない土地でもありました。
先輩の親鸞学徒の種まきによって、名古屋に信火が灯り、名古屋会館の建立となりました。
しかし会館建立で終わりではありませんし、会館に人が多く集まればいいわけでもありません。
蓮如上人は次のように教えてくださっています。
一宗の繁昌と申すは、人の多く集り威の大なる事にてはなく候、一人なりとも人の信を取るが、一宗の繁昌に候。然れば「専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず」と遊ばされおかれ候
引用:『蓮如上人御一代記聞書』
意訳:浄土真宗の繁盛というのは、人が多く集まり勢いが大きくなることではない。阿弥陀仏より真実の宝、南無阿弥陀仏を賜り、一人でも「一念の信心」の人になっていただくことが本当の浄土真宗の繁盛なのだよ。親鸞聖人の教証に明るい親鸞学徒の活動こそが、浄土真宗の繁盛である。とおっしゃいました。
これからも浄土真宗親鸞会名古屋会館で、阿弥陀仏の本願を真剣に聞かせていただきましょう。
