今回は、三河国(現在の愛知県西尾市浅井)で蓮如上人の教えに深く帰依した「浅井の後室」について紹介します。
浅井の後室について
『蓮如上人御一代記聞書』に、「浅井の後室」と呼ばれる女性が登場します。
室町時代後期、三河から蓮如上人のおられる山科まで訪ねた、篤信の親鸞学徒でした。
「浅井の後室」がどのような方だったのかは、ほとんどわかっておりません。
今回は、宿縁寺の寺伝に基づき、「浅井の後室」がどのような方だったのか紹介します。
天台宗の古寺から真宗道場へ
延暦二十一年(802年)、宿縁寺は天台宗の宿坊として開かれました。建長六年(1254年)、住持の唯信が親鸞聖人に帰依したという記録が残りますが、その後また天台宗に戻ってしまいました。
転機が訪れたのは応仁二年(1468年)のことです。宿縁寺中興の祖となる永善が、蓮如上人の教化を受け、天台宗から浄土真宗へと転じました。
永善は浅井道場を開き、やがてこれが宿縁寺として再興されることになります。
寺の裏山には今も茶畑の中に古い街道が残っています。蓮如上人もこの道を歩き、矢作古川流域の低湿地帯を船で移動しながら、この地方へ教えを広めたと考えられています。
「浅井の後室」とよばれた女性
浅井の地に、長谷蔵人冬之の妻・敷波という女性が暮らしていました。
夫を亡くした後、敷波は悲しみにくれていましたが、いつまでも悲しんでばかりいられません。
まだ幼い甥の長谷主計を引き取り、育てることになったのです。後室となった身で子を養育するのは容易なことではありませんでしたが、敷波は長谷主計を、我が子のように育てました。
日々は静かに流れていきました。甥の成長を見守りながら、浅井の地で暮らす敷波を、人々は「浅井の後室」と呼ぶようになります。
そんなある日、敷波の人生に大きな転機が訪れました。
近くの浅井道場(後の宿縁寺)で、蓮如上人から、阿弥陀仏の本願について聞かせていただいたのです。
大変な驚きでした。阿弥陀仏の本願という教えは、夫を亡くし、甥を育てながら生きてきた敷波の心に、深く染み入り、人生には目的があることをハッキリと知らされたのです。
彼女は熱心に聞法を重ね、やがて出家し、蓮如上人から「恵善尼」という法名を授けられます。
その姿を見ていた甥の主計も、叔母の背中に導かれるように仏道へ入りました。主計は剃髪して「恵暁」と名乗り、恵善尼と共に浅井道場で阿弥陀仏の本願を聞き続けることになります。
今生の暇乞い
明応五年(1496年)の秋、高齢となった恵善尼は一つの決意をします。
山科にいる蓮如上人のもとに、今生の最後の挨拶をしに行こうと考えたのです。
三河から京都までは、当時の交通事情や彼女の年齢を考えれば容易な旅ではありません。それでも彼女は山科本願寺へ向かいました。
恵善尼が山科に到着したその日の朝は、蓮如上人が摂津国富田の教行寺へ出発する日でした。当時八十二歳の蓮如上人は、大坂の御坊建立という事業の最中で、出発の準備に取り込んでいました。
それでも蓮如上人は、はるばる恵善尼が訪ねてきたことを喜び、すぐに面会し、次のようにご教導くださいました。
蓮如上人のご教導
『御一代記聞書』に次のように書かれています。
三河の国より、浅井の後室、御いとまごいにとて、まいり候うに、富田殿へ御下向のあしたのことなれば、ことのほかに御とりみだしにて御座候うに、仰せに、「名号をただとなえて仏にまいらするこころにては、ゆめゆめ、なし。弥陀仏を、しかと御たすけそうらえと、たのみまいらすれば、やがて仏の御たすけにあずかりたるを、南無阿弥陀仏ともうすなり。しかれば、御たすけにあずかりたることを、ありかたさよありがたさよと、こころにおもいまいらするを、くちにおおく、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏ともうすを、仏恩を報ずると、もうすことなり」と、仰せ候いき。
出典:『蓮如上人御一代記聞書』
意訳:三河の国(現在の愛知県東部)から、浅井氏の後室(恵善尼)が、蓮如上人にお別れのご挨拶をするために山科へ参上しました。
ちょうどその日は、蓮如上人が富田へ出発される当日の朝のことでしたので、上人の周囲はたいへん取り込んでおり、あわただしい雰囲気でした。
そのような状況でも、蓮如上人は、恵善尼とお会いご教導くださいました。
「『南無阿弥陀仏』の名号をただ声に出して称えていても、自力の心がすたらなければ、極楽へは往けないのである。弥陀をたのむ一念の瞬間に、本願を疑う自力の心がすたっていつ死んでも浄土往生間違いなしの、他力の決定心になった。そのことを南無阿弥陀仏というのである。
そうであるから、阿弥陀仏の本願を信ずる一念に救われた嬉しさに、報恩感謝のお礼の心で南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えずにおれない念仏を、仏恩報謝というのである。」
とご教導くださいました。
編集後記
宿縁寺の街道の側に、「浅井の後室」の墓があります。
蓮如上人から直接教えを受けた「浅井の後室」は、この地で蓮如上人から教えていただいた親鸞聖人の教え・阿弥陀仏の本願を聞き求め、愛知の親鸞学徒に伝え続けた方でした。
「浅井の後室」は生涯にわたって蓮如上人への感謝の心を忘れませんでした。
私たちも伝えてくだされた親鸞学徒の先輩方への感謝の心を忘れず、これからも浄土真宗親鸞会名古屋会館で、阿弥陀仏の本願を真剣に聞かせていただきましょう。
